率直なコミュニケーションとレジリエンス

ある人が話していたのを聞いて、色々考えて自省したので書く。 詳細は書かないが、心象ではなく事実で率直なコミュニケーションをしようという話と、楽しいは最初からあるわけではなく、やってるうちに楽しくなる、楽しい部分を見つけようという話。

事実で率直なコミュニケーション

仕事の上で相手を思うことは必要だがそれでオブラートに包んで無駄なやり取りがあるなら率直にコミュニケーションを取ろうという話で、この話はプログラミングに限定される話ではないが、その話を聞いて思ったのが以下のエントリだった。

クソコード批判とクソコード批判批判はなぜ燃えるのか - osa_k’s diary

身近なところで自分でもレビュー苦手だなという自覚があり、特になんどもレビューしてもらうようなことになると罪悪感を感じるし、逆にレビューする場合はどう伝えたらいいか考えすぎて回りくどい言い方になってしまったりする。ただ、気遣うあまりコミュニケーションに時間がかかったりしてしまうと、限られた時間で物事を成し遂げないといけない仕事だと失敗してしまう可能性が高くなる。 そうしたらどうしていったらいいんだろうということで以下のエントリで

成果と人格を分けることの大切さとその訓練について|emahiro|note

全く気遣いがないのは論外だが、ちゃんとコミュニケーション取れる関係性を持った上で、分けて考えられるようにしていかないといけないというのが正しいと思う。これは前提として関係性がそもそも重要であって、それらがあった上で率直なコミュニケーションを取れるようにしていかないといけなかった。

楽しい部分を見つけよう

もう一つは楽しいは最初からあるわけではなく、やってるうちに楽しくなる、楽しい部分を見つけようという話で、例えば新しいことを始めないといけない時に、最初楽しそうに見えなくても、やってるうちに楽しくなるし、楽しい部分を見つけようということ。

これは、今までと違うことをしないといけなくなってしまった時に、新しいことを拒否してしまったことがあり、楽しくなさそうと思ったわけではないが、今までやっていたこととの違いから、前のを引きずって拒否してしまった。いわゆるレジリエンスが低かったのだと思う。わがままだったし、一時の感情に流されていたなとも思っている。

これに関しては以下の引用が全てで、こういうことは生きてれば割とあることで、ましてや新規事業なんかをやってると結構な確率で発生することなので腐って死なないようにしないといけない。

WoWの世界でそうであったように、現実世界においてもダメージやショックを受けることはある程度避けられないことであり、大事なのはそれを致命打として受け止めずに、次の良い状況につなげるための道を残すことなのだから。

レジリエンスについて : 小野和俊のブログ

ただ、楽しいは人によって違うかもしれないので方向性があってると良いなとは思う。

まとめ

書いてない思いも要素もたくさんあるが、いまだにこういうことで失敗するので、ちゃんと向き合っていかないといけないと思ってる。